ポイント
- 米英が発表した暫定合意の内容を見るかぎり、交渉の結果、英国が関税削減を勝ち取った品目はごくわずかであり、大多数の品目については、バイデン政権期よりも高い税率が適用される見通しとなった。
- 一方、鉄鋼・アルミ、医薬品、航空機部品など、米国にとって重要な品目については、関税削減を引き出す見返りとして、英国は供給網から中国製品や中国資本を一部排除する「経済安全保障上の協力」に応じることとなった。
- 今後の交渉においては、日本または日系企業が展開する第三国に対しても、米国が同様の協力を求める可能性は高い。ただし、合意の内容やその運用次第では、中国によるWTO提訴やその他の報復措置に直面するリスクもある。
ヨーロッパ戦勝記念日にあたる5月8日、米国と英国は二国間協定の締結に合意した。協定の正式名称は、「米英経済繁栄協定(U.S.-UK Economic Prosperity Deal:EPD)」である。
協定締結に向けた交渉は今後本格化する予定だが、両国は同日、暫定的な合意内容の一部を公表した。この合意は、米国が将来的に他の国・地域と締結する協定の「ひな型」となる可能性があることから、各国で高い関心を集めている。日本では、関税削減をめぐる交渉結果にばかり注目が集まる一方で、本合意には、米国が中国の影響力を自国の供給網から一部排除するための仕組みが多数組み込まれている点にも留意すべきである。
以下では、これまでに表明・実施されてきたトランプ関税の体系を概観したうえで、今回発表された米英の暫定合意の内容を整理し、通商政策および経済安全保障政策の側面から米国の狙いを分析するとともに、日本への影響を考察する。
トランプ関税の二本柱
これまでにトランプ氏が表明または発動した関税措置は、大きく次の二種類に分類できる。
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米国の「貿易赤字是正」を目的とする相互関税
- 対象:下記(2)を除く大多数の品目
- 根拠法:国際緊急経済権限法(IEEPA)に基づく大統領令
- 「国家安全保障上の理由」に基づく関税(以下「232条関税」)
このほか、(1)(2)のいずれにも該当しないものとして、中国、メキシコ、カナダを対象とする関税措置なども存在するが、英国との関連性が低いため、本稿では詳述を控える。
上記(1)の相互関税は、「すべての国・地域」に一律で課される10%の基本税率と、米国が貿易赤字を抱える国・地域に対して追加的に課される「上乗せ税率」とに分かれる。
この上乗せ税率は、「貿易赤字是正」という目的に照らし、米国の二国間貿易赤字が当該国からの輸入額に占める割合が高い国ほど、より高く設定されている。その算出方法の妥当性は別として、二国間交渉を経てもなお相手国が貿易障壁を引き下げないならば、米国もそのまま高い関税を維持するという、相互主義に基づく考え方である。
たとえば、日本に提示された上乗せ税率は14%(基本税率と合わせて24%)であったのに対し、対米貿易赤字国である英国には0%(10%基本税率のみ)が示された。ただし、上乗せ税率の適用には90日間の猶予期間が設けられている。これは、各国を交渉のテーブルにつかせるための戦術と考えられる。
交渉成果の検証:相互関税部分
前述のとおり、米国は英国に対して相互関税の上乗せ税率を課さなかった。このため、今回の交渉では、すべての国・地域に課されている10%の基本税率を米国が引き下げるか否かが注目された。
両国の合意内容を見るかぎり、米国は英国に対して基本税率10%を維持する方針のようである。この結果、米国に輸入される大多数の英国製品については、バイデン政権期と比べて10%高い税率が適用される見通しとなった。
例外的に、米国は英国産牛肉の輸入枠拡大を約束したが、一方の英国は、米国産の牛肉、果物、野菜、飼料、タバコなどの農産品、およびエタノール、化学製品、繊維製品などの市場アクセス改善を約束している。英国はこれほど多くの譲歩を強いられたにもかかわらず、相互関税の削減については実質的な交渉成果を得るには至らなかったと言える。
ところで、米国の重要な同盟国であり、かつ対米貿易赤字国である英国でさえ基本税率10%の削減を勝ち取れなかったという事実は、これが単なる交渉カードではなく、「貿易収支の改善」や「米国製造業の再興」といった「MAGA(米国を再び偉大に)」運動の実現手段として政権内で位置づけられている可能性を強く示唆している。
一部報道によれば、トランプ大統領はこの10%基本税率を、今後各国に適用される税率の「最低ライン」と位置づける意向を示唆したとされる。日本との交渉においても、上乗せ税率(14%)については、日本側の譲歩次第で削減される可能性も残されているものの、10%の基本税率の撤廃については、楽観視できない状況となった。
交渉成果の検証:232条関税の対象品目
次に、米国が「国家安全保障上の理由」により通商拡大法232条に基づいて追加関税を発動した、または発動が見込まれる「重要品目」をめぐる英国側の交渉成果を整理する。
後述のとおり、232条関税は貿易収支の改善というよりも、米国にとって不可欠な重要産業の再建や、重要物資の供給網の強靭化を実現する手段として利用されている。言い換えれば、経済安全保障の確保を目的とする関税でもある。
(自動車)
自動車については、従来の最恵国待遇(MFN)税率2.5%に加え、2025年4月3日に232条に基づく25%追加関税が発動されたため、現在、合計27.5%の税率が適用されている。今回の合意では、英国車について「年10万台を上限」に税率を10%まで引き下げ、それを超える部分には27.5%の二次税率を課す、いわゆる「関税割当」制度が導入されることとなった。
なお、2024年における英国の対米自動車輸出台数は10.2万台であったことから、大半の英国車は10%という低い税率の恩恵を受ける見通しである。英国内最大の生産台数を誇るメーカーは日産であるが、同社の車両はほとんど米国には輸出されていない。一方、ジャガー、ランドローバー、ミニ、ロールスロイス、アストンマーティン、ベントレーといったブランドは、この関税削減の恩恵を受ける可能性がある。
米国が自動車分野で一定の譲歩を行った背景には、これら英国ブランドの多くが米国車と競合しにくい高級車であることが影響しているとの見方もある。加えて、英国の対米自動車輸出台数は日本(136万台)の10分の1以下にとどまることから、関税削減が米国自動車産業に与える負の影響は限定的と判断された可能性もある。
一方、メキシコやカナダに生産拠点を持つ米国の自動車業界団体からは、トランプ政権がメキシコやカナダではなく英国に対して有利な条件を与えたことに対する失望の声が上がっており、今回の合意内容が今後のEUやアジア諸国との交渉の前例とならないよう望む意向が示されたとの報道もある。
こうしたなか、英国の十倍以上の対米自動車輸出台数を誇る日本が、はたして英国以上に低い税率を勝ち取れるのか、また、何台までその低い税率の適用対象となるのかが、今後の注目点となる。たしかに、日本のメーカーは米国内での生産を拡大し、雇用創出にも貢献してきたが、こうした実績が交渉においてどこまで考慮されるかは、依然として不透明である。
最後に、英国車に対する関税が27.5%から10%に引き下げられたことは、一見すると英国が関税削減を「勝ち取った」かのように映る。しかし、25%の追加関税は第二次トランプ政権以降に導入されたものであり、それ以前と比較すれば、英国車の輸入にかかる関税は従来の2.5%から10%へ、さらに10万台を超える部分については27.5%へと「引き上げられた」ことになる。当初大幅に引き上げた税率を一部引き下げることで譲歩の印象を演出しつつ、実質的には従来よりも高い関税率を勝ち取るという、トランプ氏のしたたかな交渉戦術が浮かび上がる。
(鉄鋼・アルミ)
鉄鋼およびアルミについては、従来、製品の種類に応じて数%のMFN税率が課されていた。第一次トランプ政権下では、232条に基づき、鉄鋼に25%、アルミに10%の追加関税が課されたが、続くバイデン政権下では、英国に対して一定数量に限り追加関税を免除する関税割当制度が導入された。
第二次トランプ政権が誕生すると、英国を含むすべての国・地域に対して鉄鋼・アルミの双方に25%の232条追加関税が発動された。今回の暫定合意では、英国産の鉄鋼およびアルミに対し、一定量までは追加関税を免除する関税割当制度が導入されることとなった。ただし、免税対象となる輸入数量については、今後の交渉で決定される見通しである。
関税削減の見返りとして英国は、対米輸出される鉄鋼・アルミの「供給網の安全性」と「生産拠点の所有権」に関し、米国が求める要件を速やかに満たすよう努めることとなった。ちなみに、かつて英国の国有企業であったブリティッシュ・スチール社は2020年に中国の敬業集団に買収されたが、2025年3月、同集団は経営不審を理由に英国内の一部事業の縮小を発表した。これを受け、4月12日には、英国議会が国内最後の製鉄所の操業維持に向け、政府に管理権限を与える緊急法案を可決した。
米英の合意文書では国名の明記こそないものの、これまでの経緯を踏まえれば、英国政府がブリティッシュ・スチール社を通じた中国の影響力を制限または監視する措置を講じることを条件に、米国が追加関税の撤廃に応じた可能性は高いと考えられる。
また、ホワイトハウスが発表した米英合意のファクトシートによれば、鉄鋼およびアルミの過剰生産問題に対抗するため、新たな貿易連合(trading union)の発足が目指されている。バイデン政権下で英国が232条関税の適用除外を得た際にも、中国による過剰生産やダンピングの問題に対処するため、米英間で協力することについて英国はすでに合意していた。今回の合意も、こうした方針を踏襲・発展させた内容となっている可能性がある。
最後に、英国が一定の免税輸入枠を獲得できた背景には、鉄鋼・アルミのいずれにおいても、同国が対米輸出量において上位10カ国にすら含まれていないほど輸出量が少ないことが影響している可能性がある。ただし、上述のとおり、鉄鋼・アルミについてはバイデン政権期からすでに英国産に対する免税輸入枠が設けられていた。したがって、今回の交渉で英国が得た実質的な成果は、免税輸入枠の数量に関する交渉次第ではあるものの、「バイデン政権期から享受していた待遇の維持」にとどまる可能性がある。
(その他の重要物資)
同じく経済安全保障上の理由から232条関税の発動が検討されている医薬品および医薬品原料についても、英国が供給網の安全性に関する要件(中国の影響力排除)を満たすことを条件に、速やかに関税交渉を開始することで合意した。さらに、航空機部品など、232条関税の適用が検討されているその他の品目についても、供給網の安全性確保を前提に、両国は早期に関税交渉を開始する方針で一致している。
このように、重要物資をめぐる関税交渉においては、その市場を交渉相手国に開放することで米国の経済安全保障が脅かされるおそれがないか、とりわけ中国の影響力を排除できるかどうかが、今後も焦点となる可能性が高い。
交渉成果の検証:経済安保協力
今回の米英合意では、両国が第三国による「非市場的政策」への対応を含め、経済安全保障に関する協力を強化することが明記された。
協力の具体的な分野としては、輸出管理、投資の安全保障措置、ICTベンダーの安全性確保、知的財産権の保護、強制労働への対応を含む労働問題、環境、政府調達、および特定国からの輸入品に課されたアンチダンピング税や補助金相殺関税などを回避する「迂回輸入」防止のための税関協力などが挙げられている。具体的な国名は示されていないものの、いずれも中国を念頭に置いたものであることは明白である。
このように、米英間の交渉では、関税や非関税障壁の削減にとどまらず、米国の供給網およびインフラの強靭化、さらには技術流出の防止に向けた対応など、政権内の対中強硬派が長年にわたり懸念してきた経済安全保障上の課題についても議論されていたことが明らかになった。こうした課題は、今後、他の国・地域との交渉においても主要なアジェンダとして扱われる可能性が高い。
日本への影響
暫定合意された米英経済繁栄協定の内容は、明らかに米国にとって有利なものであり、現在交渉中の他の国・地域にとっては大きな失望となったと見られる。英国は、相互関税の基本税率10%の撤廃を勝ち取れず、自動車についても、バイデン政権期より高い税率を受け入れる結果となった。その他の重要物資に関しては、関税の一部撤廃と引き換えに、米国の供給網から中国を排除するための経済安全保障上の協力を求められている。
こうした構図は、日本や日系企業が展開する第三国との交渉にも波及する可能性が高い。仮に、米国市場へのアクセス改善と引き換えに、供給網の安全性確保に関する協力、たとえば中国資本や中国製品の一部排除を要請された場合、日本は難しい選択を迫られることになる。米国の要請を拒めば、関税削減を勝ち取ることは難しくなる。一方で、要請に応じて中国製品の排除に踏み切れば、中国によるWTO提訴やその他の報復措置に直面するリスクに加え、経済のブロック化が進展するおそれもある。
トランプ政権が本気で中国経済との部分的なデカップリングを推進しつつあるなか、日本はこれまで以上に、米中両国のはざまで難しい選択を迫られる局面が増えるだろう。米国の通商政策と経済安全保障政策が不可分となったいま、日本には単なる関税交渉を超えた、より総合的かつ戦略的な判断が求められている。