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韓国新政権が直面する二重の試練:軍兵力減少と中国の軍事的影響力拡大

ポイント

  1. 李在明政権が発足して100日が経過、大統領自身、ここまでの国政運営を「不正常な状態からの復帰」と評価。
  2. 実用外交を支える国防力を構築するために、前年の3.1%から8.2%増の国防予算案を国会に提出。少子化による兵員減少に備え、AI・無人省人化など先端科学技術の活用による戦力増強を目指す。
  3. 中国による脅威は韓国において徐々に拡大傾向。黄海上における中国の軍事的影響力拡大だけでなく、国内における諜報活動や経済安全保障に関する問題も顕在化。

新政権発足と実用外交の始動

本年6月3日に韓国大統領選挙が実施され、翌日に李在明政権が発足してから、9月11日で100日が経過した。韓国では恒例となっている「就任100日記者会見」の場において、李大統領は、ここまでの100日間を「回復と正常化のための時間」と位置づけた。李大統領と与党は、昨年12月3日に起きた「非常戒厳」について、「韓国という国の品格を低下させた」と一貫して主張してきた。外交政策面では、新大統領が選出されるまで各国との首脳会談が行えず、国益を著しく損なう事態が続いていた。同様に、国防政策面においても、「非常戒厳によって傷つけられた国軍と将兵の尊厳を回復すること」が、政権発足当初の優先事項とされた。

一方、日本では、尹錫悦前大統領の弾劾を前後して、李在明大統領誕生に対する否定的な雰囲気が支配的であった。それは、同氏による過去の対日発言を踏まえれば、当然の反応ともいえる。ところが、8月21日付『読売新聞』に掲載された単独インタビューの中で、李大統領は、「私が日本に対して持っている考え方で、いい面も悪い面もある。日本に対して下す私の政治的な判断も、私が野党だった時と今のように国を担っている時の判断というのが違ってくるかもしれない。人が変わったわけではなく、野党の時は戦う必要があった。今は、政権与党という立場で責任があるので包容力を示さなければならない」と、これまでの対日姿勢を一変させた理由について明らかにした

実用外交の基盤となる国防力構築

過去の言動に囚われることなく、目の前の現実を直視し、最も国益に合致する判断を下すことが、李在明政権が推進する「実用外交」であるとすれば、その基盤は国民からの安定した支持、そして強い国防力と経済力によって構築される。9月2日、韓国国防部は政権交代後初となる翌年度予算案を国会に提出した。国防費を前年比8.2%増の66兆2947億ウォン(約7兆690億円)とする同案は、与党が国会で圧倒的な議席数を有している現状では、ほぼ原案通りに成立する可能性が高いだろう。年末に予算案が可決されれば、盧武鉉大統領以降の進歩系大統領3名(盧武鉉・文在寅・李在明)がいずれも、国防費を前年比8.0%以上の高水準で増額したことになる(図1)。

韓国の左派・革新(進歩)勢力は、概して独自の国防力構築を目指す傾向にあるという点は、日本では必ずしも正しく理解されていない。米国への過度な依存を嫌う与党・進歩勢力の間では、独自の国防力を獲得するための「国防改革」の必要性について、基本的な認識の一致が見られる。李大統領は「外国の軍隊がいなければ自主国防は不可能と考えるのは、一角の屈従的な思考である」と発言しており、米トランプ政権下ではインド太平洋地域の軍事プレゼンスに変化が生じることも見越し、政権2年目以降も国防費の増額を図る可能性が高いだろう。

図1 韓国国防費増加率
出所:韓国国防部ウェブサイト「国防予算推移」をもとに筆者作成。

こうした積極的な国防費増額は、進歩政権特有の自主国防意識や、韓国を取り巻く安全保障環境の悪化だけに起因するものではない。少子化が喫緊の課題となっている韓国では、すでに軍の兵力が定員割れを起こしており、現場部隊でもその影響が出始めている。『朝鮮日報』の報道によれば、少子化の影響により各部隊の人員不足が露呈しており、世界各国に輸出されている「K−9自走榴弾砲」の部隊では、「10両中7両分の操縦人員しか確保されていない状況」とされる。

今後、出生率がさらに低下した時代に生まれた世代が徴兵対象年齢に達すれば、より深刻な事態が生じることが予測されている。こうした背景により、韓国軍は将来戦に備えるべく、日本よりも相当早い段階から無人化・省人化技術の開発に取り組んできた。しかし、どうやらその戦力化のペースは、政権が要求する水準には達していなかったようだ。李大統領は、AIを含む先端科学技術の開発を政権の重要課題として取り組むよう指示を出している。

韓国に忍び寄る中国の軍事的影響力

韓国にとって中国との関係は、依然として先行き不透明感な状況にある。中国の軍事力拡大は、日本やフィリピンなどにとどまらず、韓国に対しても圧力として作用している。「中国の軍事的な海洋進出」と聞くと、日本では東シナ海、台湾海峡、南シナ海が想起されがちであるが、韓国の西側に位置する黄海においても、中国の進出は目を見張るものがある。

韓国と中国の間に位置する黄海では、両国間の海上境界線が未だ画定されていない。現在、両国が主張する中間の海域は「暫定水域」と設定されているが、中国側は、より韓国寄りの東経124度線を海軍の海上作戦区域(AO: Area of Operations)の境界と主張している。実際、中国海警局の警備艇がこの東経124度付近の海上を南北に航行しており、その様子は船舶位置情報サイト上でも日常的に確認できる。それはまるで、自国が主張する境界線を航跡によって描いているかのようである。

日本の尖閣諸島やフィリピンのスカボロー礁周辺と同様に、黄海における中国海警局の活動の背後には、中国人民解放軍海軍の艦艇が控えている。北海艦隊司令部がある山東省・青島は、韓国領土から黄海を隔てて約600キロの距離にあり、2021年には中国海軍の情報収集艦が同海域で頻繁に活動した。さらに2022年3月には、同司令部所属の空母「遼寧」が韓国領土から70海里(約130km)の海上を通過したとされている。李在明政権の発足直前となる5月下旬には、就役間近の最新型空母「福建」が黄海で訓練を実施したとも報じられた

このように、中国が黄海における影響力を強めるなか、その脅威は韓国国内でも国民の目に触れるようになった。ここ数年、中国人留学生や観光客が韓国国内の軍事施設付近でドローンによる撮影を行って身柄を拘束される事案や、軍の内部情報が中国に渡ったとされる事案がたびたび報道されるようになっている(表1)。

表1 韓国における最近の中国人身柄拘束事案
① 釜山地検中国人留学生2名を拘束(2025年7月25日) 釜山の海軍司令部や同司令部に寄港した米空母をドローンで撮影した中国人留学生を起訴。
② 水原警察が中国人高校生2名を拘束(2025年4月7日) 水原空軍基地内部や戦闘機などを無断で撮影した疑いで中国人2名を拘束。
③ 国軍防諜司令部が済州島で中国人を拘束(2025年3月29日) 中国人がオープンチャットに韓国軍人になりすまして潜入。金銭を対価に現役兵士が携帯電話で米韓合同軍事演習に関する内部資料を撮影して同中国人に譲渡。
④ ソウル警察が1名を拘束(2024年11月9日) 国家情報院近くでドローン撮影していた中国人観光客を拘束後翌日釈放・出国停止措置。
⑤ 釜山警察が中国人1名を拘束(2024年8月1日) 釜山・金海国際空港で軍用機を不法に撮影した疑いで20代男性を拘束。
⑥ 釜山警察が中国人留学生3名を拘束(2024年6月25日) 釜山の軍事施設を数百回もドローンで撮影したとして中国人留学生3名を逮捕。米空母などが初の日米韓マルチドメイン合同軍事演習「フリーダム・エッジ」に参加するため釜山港に滞泊中。
出所:各種報道資料より筆者作成。

しかしながら、韓国の現行法制度でこうした事案を取り締まるには、軍事施設法や航空法などを適用するほかない。かつて国会では、刑法98条「間諜罪」の適用範囲を「敵国(北朝鮮限定)」から「外国」へと拡大する法改正が急務だとして議論がなされたが、当時野党であった共に民主党(現与党)が法改正に躊躇し、実現しなかった経緯がある。

経済安全保障面での脅威も、近年顕在化している。たとえば昨年、軍事施設で使用されていた中国製監視カメラ1300台の構成部品の中に、ひとたび通信に接続されると撮影内容が中国本土に送信されるプログラムが組み込まれていることが判明した。また最近、韓国軍が調達するドローン部品の多くが中国製であることも明らかとなり、軍の装備品の「脱中国化」が求められるようになった。

韓国を取り巻く国際環境は劇的に変化しており、目前にある北朝鮮・中国・ロシアの脅威に備える必要が生じている。こうした状況のなか、李在明政権が直面する「少子化による兵力減少」や「中国」に起因する問題の数々は、最終的に韓国単独では解決が困難である。同様の問題解決に迫られている日本との技術協力や、日米韓の安全保障協力の必要性は、これまで以上に高まっている。