ポイント
- 2025年4月前半に生じた米国債利回りの上昇と米ドルの下落を受け、5月以降、エスカレートしていた米中間の関税報復合戦は一転して収束に向かった。
- ある国の通貨が「国際通貨」、さらには「基軸通貨」として評価されるためには、市場原理を尊重する制度設計と金融市場全般の質の高さが必要であるが、人民元は現状これらを十分に満たしていない。
- FRBが過度の金融緩和に政策を転換すれば、各国の外貨準備に占める米ドルのシェアはやや減少し得るものの、基軸通貨としての地位が失われる可能性は低い。
市場からの反撃
米中の関税報復合戦のクライマックスは4月9日に訪れた。米国は中国からの全輸入品に対して84%の相互関税を課した。すると、翌4月10日、中国は米国からの全輸入品に対して84%の追加関税で応酬した。同日早速、米国は追加関税を145%に引き上げる。4月12日、中国も報復として対米関税を125%に引き上げた。
反撃は市場から起きた。まず、国債市場がNOを突きつけた。4月10日以降、長期国債の利回りは高騰し、米国債市場は、トランプの相互関税政策を評価していないとの評価を下した。
4月20日、連邦準備制度理事会(FRB)のジェローム・パウエル議長が、相互関税の影響によりインフレ基調が持続するとの見通しを理由に、早期の利下げは難しいと発言する。利下げによる経済回復のシナリオを頭に描いていたトランプは激怒し、パウエルに辞職を要求した。米国大統領は、FRBの議長を任命することはできるが、正当な理由なくして解任する権限がない。トランプは執拗にパウエルにプレッシャーをかけようとした。すると、外国為替市場で米ドルは売られた。中央銀行の独立性をないがしろにするトランプの態度は、基軸通貨である米ドルの信用を失墜させるのに十分な材料であった。
こうした国債利回りの上昇と米ドルの下落を受け、トランプ政権が動揺したのは明らかである。エスカレートしていた関税報復合戦は、5月に入ると一転して収束に向かう。実際に誰が国債を売却したのかは明らかではないが、中国が、米国の貿易政策に対して報復したのではないかという憶測が飛び交う。中国が米ドル債を売却すれば、米ドル債の価格は下落(利回りは上昇)し、米国の財政運営に打撃を与え、困難な状況へと追い込むことができる。しかし同時に、米ドル債を大量に保有する中国もまたキャピタルロスを被る。つまり中国は、米国債を売却して報復しようとすれば米国に損害を与えることができるが、同時に自らも損害を被ることになる。米ドル体制に組み込まれている中国が、債権国の強みを切り札として使えるかどうかは、米ドル債売却の利益とコストを中国政府がどのように判断するかにかかっている。
現状において、米ドル債の主たる保有者は、各国の中央銀行や財政当局、そしてソブリンファンド(政府系ファンド)などの海外公的機関である。2000年代初め、米国債の発行残高に占めるこれら機関のシェアは20%足らずであったが、世界金融危機の混乱で「質への逃避」が生じた結果、2010年代前半には最大で55%を超えた。それ以降は30%から40%の間で推移している。
この事実は、海外の公的機関が、売買を通じて国債価格に影響力を及ぼす余地があることを示唆している。米国財務省のアーメドらの推計によれば、海外の公的機関が米国債を1,000億ドル売却すると(この額は2021年時点で発行残高のほぼ1%にあたる)、10年国債の利回りはわずか1ヵ月の間に1%ほど上昇する。
この数字を、仮に中国が外貨準備として保有する米国債の1%を売却したとするケースに当てはめるならば、国債利回りは0.2%ほど上昇することを意味している。今回、わずか1週間ほどの間に、国債利回りは0.5%ほど上昇した。仮に中国が、外貨準備として保有する米国債の2.5%を売却すれば、計算上、利回りはちょうど0.5%上昇する。
国際通貨とは
米ドルが売られることの意味を考えるために、何をもって国際通貨と呼ぶのか、その定義に遡って考えてみよう。我々がある財を「貨幣」あるいは「通貨」と呼ぶとき、その財は次の3つの機能を兼ね備えている。まず、共通の単位として商品の価値を評価する「価値尺度」の機能である。次に、財の交換を円滑に処理する「交換手段」機能である。そして、安全かつ流動性の高い資産の価値を維持する「価値の貯蔵」機能が挙げられる。
そして、上記の議論とのアナロジーで、国際通貨が担うべき機能は、国際的な価値尺度としての機能、国際的な決済手段としての機能、国際的な貯蔵手段としての機能ということになる。日本から米国に輸出される小型車が、100万円と日本円単位で契約されれば(つまり円建てであれば)、日本円が国際的な価値尺度の機能を果たしていることになり、1万ドルと米ドル単位で契約されれば(つまり米ドル建てであれば)、米ドルが国際的な価値尺度の機能を果たしていることになる。さらに、ある通貨が、実際の貿易の決済や取引に利用されるとき、交換手段としての機能を果たしていることになる。日米間の貿易では、日本円あるいは米ドルが決済通貨として使われる。貿易で稼いだ資金をそのまま寝かしておくのは損である。次回の貿易の決済に使うまでの間、収益をもとめて金融資産で運用することになる。日本国債や日本株など円建て資産で運用すれば、日本円が価値貯蔵手段と利用されることを意味し、米国債など米ドル建て資産で運用すれば、米ドルが価値貯蔵手段と利用されることを意味する。
これら3つの機能のうち、どれか一つが欠けても国際通貨とは呼べない。さらに、各々の機能は相互に補完的であり、決済機能の高まりが貯蔵手段としての価値を高め、貯蔵手段としての価値が決済機能の価値を高める。価値尺度としての機能と決済機能を備えていたとしても、貯蔵手段として魅力がなければ通貨とは呼べない。この性質は、国際通貨について語るとき、本質的な意味を持つ。
外貨準備と基軸通貨
価値貯蔵手段としての国際通貨への需要をもっとも反映しているのが、中央銀行や財政当局が主に外国債というかたちで保有している外貨準備である。
図1 外貨準備に占める主要通貨のシェア
出所:IMF, International Financial Statisticsより筆者作成。図は、全世界の外貨準備に占める米ドル、ユーロ、日本円、中国元のシェアの推移を示している。米ドル資産のシェアに注目すると、この20年間で71%から59%へ低下している。しかし、世界全体のGDPに占める米国のシェア(米ドル建て)が25%程度であることを考えると、50%超という数字は、いまだに米ドルが基軸通貨であることを表している。米ドルに対峙する通貨として期待されて登場したユーロは、誕生から最初の10年間、シェアを順調に増加させ、ピーク時の2009年には、28%までシェアを伸ばした。しかし、2009年のギリシャ危機に端を発した欧州債務危機の痛手は大きかった。2012年、ECB(欧州中央銀行)総裁のマリオ・ドラギが、「ユーロを守るためなら何でもする」と発言し、ユーロ建て国債市場を救済すべく「最後の貸し手」として流動性を供給する意思を明らかにした。しかし、その後、外貨準備に占めるユーロのシェアは低下し、現在では20%程度である。ユーロの伸長は、ドイツが自国国債を国際的に供給する意思を持つかどうかにかかっているが、財政危機後も同国は健全財政への姿勢を堅持し、国債発行は抑制的であった。このことは、ユーロ建て安全資産の供給や外貨準備シェアの拡大が進まない一因となっている。
では、中国元のシェアが上昇して、米ドルシェアの低下を補ったのかといえば、そうとも言えない。今世紀に入ってから、中国は、輸出と輸入の急速な拡大、一帯一路による広域経済圏の拡大、中国元の通貨スワップと銀行間清算システムのグローバル化、さらには中国元のSDRへの加入等、自国通貨の国際化に乗り出すための必要条件を次から次へとそろえてきた。特に、輸出額と輸入額は、米国に引けをとらないほどに増加していることを考えると、中国元のシェアは著しく低いと言わざるを得ない。
中国元に決定的に欠けているのは国際通貨としての「信用」である。政府に信用がなければ、その国の発行する国債を、他国の政府は準備通貨として保有しない。自国通貨が国際通貨そして基軸通貨として評価されるためには、市場原理を尊重する制度設計と金融市場全般の質の高さがもとめられる。具体的には、自由な資本移動の保証、透明性の高い為替制度、厚みがあり流動性の高い金融市場、信頼される国債市場、独立性の高い金融政策などを兼ね備える必要がある。
米ドル暴落の可能性
これまでの議論を踏まえて、今後、米ドルが大幅に低下し、基軸通貨の地位を転げ落ちる可能性について考えてみよう。ロシアがウクライナを侵攻したとき、米国がロシアに課した金融制裁のせいで、新興国を中心に米ドルから中国元に決済通貨を切り替えるのではないかという憶測が浮上した。しかし図をみるかぎり、準備通貨のシェアにさして影響を与えているとは思えない。多少の事では、国際通貨の勢力図は変わらないのが現実である。
確実に言えるのは、中国の影響力拡大とともに中国元の国際通貨としての地位が上昇し、外貨準備に占める米ドルのシェアが少し低下することはあっても、米ドルが基軸通貨の地位から転げ落ちる可能性は低いということである。資本取引の規制や不透明な為替制度など、中国が現在採用している対外政策を踏まえると、中国元の国際的信用が急速に上昇すると予測するのは難しい。となると、基軸通貨としての米ドルの地位に揺らぎが生じるとすれば、それは米国政府自らがドル安を志向する経済政策を選択するときであろう。
筆者は2年前の論考で、米国政府が健全な政策運営を続ける限り、米ドルは盤石であると指摘している。その一方で、インフレが米ドルのシェアを低下させる可能性についても言及している。この契機となり得るのは、FRBが過度な金融緩和へと政策を転換するときであろう。現議長パウエルの任期は2026年5月までであり、トランプ政権が新たな議長として金融緩和に賛同する人物を指名する可能性は高い。仮に、相互関税政策の影響によって米国内でインフレ率が上昇するなかで金融緩和を強行すれば、米ドルは低下するであろう。ただし、FRB議長が変わっただけで金融政策のスタンスが大きく変わるかどうかは不明である。金融政策の独立性を盾に、内部の理事はむしろ抵抗の姿勢を強めるかもしれない。米国は70年代の経験から、どれだけインフレが経済を蝕むのかを知っている。そして80年代前半、ポール・ボルカーFRB議長(当時)の強力な金融引き締めでインフレを退治したことが、その後の米国経済の繁栄につながったことも知っている。
歴史に例をもとめるならば、ブレトンウッズ体制に終止符を打つきっかけとなった金とドルの交換停止が参考となるであろう。自らの再選のことで頭がいっぱいのニクソンは、国内にインフレ懸念があったにもかかわらず、FRBに金融緩和を強く促し、米ドルの価値低下を放置した。そして米国は金とドルの交換停止に追い込まれることとなった。その後、為替制度は固定制から変動制へと移行し、米ドルは大幅に低下した。しかし、米ドル覇権に揺らぎはなかった。米ドルは生き残ったのである。少なくとも、このときは。
さて、トランプ2.0時代のなかで、米ドル覇権はどのような運命をたどるのだろうか。