「力による現状変更を許さない」だけでは通用しない
伊藤 そろそろ日本の立ち位置について考えてみたいと思います。この中東の紛争において、日本はどれだけのプレゼンスを発揮できたのか。日本はどういう役割を演じていたのか、あるいは演じていなかったのか。まずは先生方の率直なご意見をお聞かせ願えればと。
北村 私はもう政権から離れたのでよくわかりませんが、いろいろ真剣に取り組んでおられるとは思います。基本的には、「力による現状変更を許さない」という考え方を非常に大切にしているようですね。
伊藤 「力による現状変更を許さない」という言葉以外に聞こえてこないというのが正直なところです。政治的にその判断でいいのだろうかと。大澤先生はどう思われますか。
大澤 この6月のカナダで開かれたG7サミットの前、日本政府はイスラエルにかなり批判的なメッセージを出していました。しかしいざG7が始まると、米国に寄せるようにメッセージを軟化させた。日本のイスラエルへの態度が、ワシントンDCや特に米国のユダヤコミュニティでどう見られているかについて、もう少し注意を払う必要がありますね。
米国は日本をどう見ているか
伊藤 今の日米間の貿易交渉や関税交渉などの場でも、すべての要素が複合的に判断されていく状況ですからね。では、米国は今の日本をどう見ているのでしょうか。また、日本は米国とどうつき合っていくべきでしょうか。
北村 まず対日貿易赤字については、もはやゼロに等しいと言っていいと思います。
日本の半導体が世界で圧倒的なシェアを誇っていた1980年代初頭、米国の貿易赤字のうち約70%を日本が占めていました。しかし現在は5%程度。金額で言えば9兆円ほどですが、一方でいわゆるIT赤字(デジタル赤字)は7兆円超に達しています。そのうちの米国分を足し引きすれば、もはや問題視されるほどの額ではないでしょう。
それから米国が今の日本をどう見ているか。米国の誰の視点かにもよりますが、まず大局的に見れば、トランプ政権にとって最大のコンペティターは中国であり、国防総省もCIAも同様に考えていると思います。
その前提で東アジア地域を見回してみると、相応の防衛力、経済力情報分析力を有する同盟国は日本しかありません。だから日本としては、このスキームを毀損しないように維持することが大事。今回の関税交渉も、そういう認識で臨むことがポイントだと思いますね。
大澤 たしかに、米国の日本への見方というのはなかなか難しい。中東問題でもスタンスを明確にできなかったですからね。それに米国内には、今の日本の政権は親中政権なんじゃないかという声もあるほどです。
日本が米国から離れつつあるというイメージを持たれることは得策ではありません。エネルギー供給や食料供給を考えても、もうバックアップは太平洋航路しかないですからね。中東の有事もそうですが、もし東アジアや南シナ海などで衝突があれば、たちまちASEANやオーストラリアからLNG(液化天然ガス)の輸入が止まります。
だから、こういうときこそトランプ政権がアラスカ州で進めているLNG開発事業に積極協力するとか、もう少し戦略的に同盟国であることをアピールするような判断をしたほうがいいですね。
関税交渉の基本は「小さな部分で譲歩、大きな部分でシェア」
北村 それから、最近気になるのが国内世論。関税交渉がうまく行っていないことを受けて、トランプ政権が悪いとか、米国のエコノミック・ステイトクラフト(経済的手段を使って政治的目標を追求すること)によるグレーゾーンの戦いだ、といった議論が蔓延することはきわめて危険だと思います。ならば米国に背を向ければいいのか、コンペティターである中国と組めばいいのかという話になる。そういう短絡的な発想に陥っても、何もいいことはありません。
言うまでもなく米国は日本の同盟国であり、それが日本の安全保障の基軸です。また経済関係も非常に深く、多くの日本企業が米国に進出したり投資したりしているわけです。もし、その日米同盟を自ら毀損したり、あるいは外部から毀損しているように見える状況を生み出してしまったら、それは外部を利するだけ。明らかに国益に反します。
だから大切なのは、大局的な視点を持つこと。交渉で齟齬が生まれるのは当たり前です。小さな部分で譲歩しながら、大きな部分ではシェアするというのが基本姿勢だと思いますね。政府が毅然としてそういう姿勢を示せば、世論がおかしな方向に行くこともないでしょう。「国難」と言い募るのもいかがなことかと思います。
大澤 そういう意味では、関税交渉でもまだ議論の余地はあると思います。例えば今回、政府は備蓄米を4年分、つまりほとんどすべて放出しましたね。しかしこれは、もともと有事の備えとして持っていたものです。もし今、有事が発生して小麦なども入らなくなったとしたら、国内の食料需給はたちまち逼迫するわけです。
関税交渉においてトランプ大統領が米の輸出にこだわるなら、備蓄米だけは米国から全量を輸入するという提案をしてみるとか。そういう譲歩をしつつ、備蓄米をもう一度積み増すという戦略的判断があってもいいと思います。
だいたい日本の食料自給率は、カロリーベースで30%台後半です。食料危機のリスクを回避するにはストックしておくことが必要で、それには供給元を分散化することが最大の対策手法ですからね。その観点でも理にかなっていると思います。
北村 極論すると、族議員や役人の言うことばかり聞いていたら交渉など絶対にまとまらないということです(笑)。繰り返しますが、米の輸入が最適解かどうかはともかく、譲るべきは譲りながら大局に立って判断しなければいけない。交渉の最前線にいる方々は大変だと思いますが、そう肝に銘じてぜひがんばっていただきたいと思いますね。
企業は「消火隊」より「消防隊」の活動が大事
伊藤 政府の立ち位置やリスク回避策についてよくわかりました。では最後に、企業はどういうリスクに備えるべきでしょうか。
例えば今、製造業の方からは、レアアースが入ってこなくなったという話をよく聞きます。実際にレアアース産品の代表である永久磁石の2025年5月の中国からの輸出量は、日本向けが前年同月比84.1%減、米国向けは同93.3%減と激減しています。大きなシェアを持っている中国が輸出管理を強化しているためですが、そうである以上、今はまだ影響が小さい企業でも、何か手を打たなければやがて大きな問題になるという話も聞かれます(5月の中国の永久磁石の輸出総量は1238tとこれも対前年同月比74%の減少となっています)。
こういうことは他にも起こり得ます。いざその事態に直面してから対処するのではなく、事前に備えることも必要でしょう。消火隊の活動も大事ですが、消防隊の活動こそ本当に鍛えるべきというか。
大澤 そうですね。有事のみならず自然災害も想定する必要がありますからね。
供給途絶という点で考えると、エネルギー資源の確保は大きな課題です。特に輸送機器にはどうしてもガソリンや軽油が必要で、それには原油が欠かせません。そういうリスクは常に意識する必要があります。
基本は、備蓄と調達先の多角化でしょう。実は東日本大震災後、日本は天然ガスの中東依存を一時的に急速に高めました。特に東京電力や関西電力が、原発の代替となる火力発電所の燃料のほとんどを中東からのスポット購入で賄ったからです。
しかしその後、リスク分散のため、およそ10年をかけて調達先の多角化を図ってきました。その結果、現在の天然ガスの中東依存は7~8%に収まっています。これは1つの成功事例と言えるのではないでしょうか。各企業にとっても、戦略備蓄に加えて調達先の多角化は検討が必要になってくると思います。
ついでに言えば、これは政府や企業にかぎった話ではありません。個々の家庭もちゃんと備蓄をしておくことが必要かなと思っています。もちろん地震への備えは以前から言われていることですが、有事も想定したほうがいい。南シナ海あたりで海運が止まると、ただちに影響が出ますから。
各家庭がそれぞれ何週か分の食料を備蓄したとすれば、日本社会全体のリスク対応力が上がるのではないでしょうか。