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「ホルムズ危機と中東秩序の行方——エネルギー、安全保障、地域秩序の構造変化」(1)

二つの海を持つ国:ホルムズ危機と「構造的勝者」としてのサウジアラビア

今回から4回にわたり、サウジアラビア在住で中東・エネルギー専門家の玉木直季氏による連載をお届けする。報道では「中東の混乱」として一括りに語られがちな今般の危機を、現地に暮らす専門家の視点から捉え直す試みである。第1回となる本稿では、ホルムズ危機がサウジアラビアにとって持つ意味を、地政学の観点から論じる。

ポイント

  1. ホルムズ危機は、世界のエネルギー供給網を直撃する危機である。原油だけでなく、コンデンセート、石油製品、ナフサ、物流費、保険料を通じて、各国経済に波及する。
  2. 危機は、すべての国に同じ形で作用するわけではない。どの国がどの海に面し、どこに港とパイプラインを持ち、誰と安全保障上の関係を築いてきたのかが、有事には意味を持ち始める。
  3. その差を最もはっきり見せている国の一つがサウジアラビアである。ペルシャ湾と紅海という二つの海を持つことが、今回の危機において同国の地理的な厚みを浮かび上がらせている。

危機が浮かび上がらせた地図

ミサイルやドローンによる攻撃、そしてホルムズ海峡の封鎖。日本や欧米の報道では、これらが「中東の混乱」として論じられることが多い。しかし実際のところ、今回の危機の影響は決して小さくない。米エネルギー情報局(EIA)によれば、ホルムズ海峡を通過した原油・コンデンセート(天然ガスから得られる超軽質油)・石油製品は、2025年第4四半期の日量2,070万バレルから、2026年第1四半期には日量1,460万バレルへ低下した。減少幅は日量610万バレル、前期比29.5%相当の減少である。世界有数のチョークポイントが封鎖されれば、各国経済への波及は避けられない。原油やナフサの価格も急上昇し、日本経済への悪影響も顕在化し始めている。

しかし、中東域内の視点から見れば、今回の危機は単なる混乱にとどまらない。どの国がどの海に面し、どこに港を持ち、どこにパイプラインを通し、いかなる安全保障上の関係を築いてきたのか。平時には背景に沈んでいた条件が、有事には重要な意味を帯び始める。今回の危機において、その意味を最も明確に示している国の一つがサウジアラビアである。

リヤドの市内では、外部から想像されるような緊迫感は見られない。警報が鳴れば人々は身構えるものの、都市の機能は平常どおり維持され、いつもの速度で一日が進んでいる。これは危機が存在しないことを意味するのではなく、危機の受け止め方が異なることを示している。サウジは今回の事態を、国家の根幹を揺るがす危機というより、戦略的な位置取りを見直す局面として捉えている。

イラン紛争は、世界のエネルギー供給網を動揺させている。だが同時に、サウジにとっては原油収入の増加という利益ももたらしている。経済成長の鈍化、防衛・物流コストの上昇という負担はあるものの、原油相場の上昇と各国の有事対応計画がサウジの収入を押し上げているほか、ホルムズ海峡の迂回ルートとしての紅海沿岸の重要性も増している。危機はサウジを圧迫するだけでなく、この国の地理的優位性を改めて可視化している。

石油だけでは捉えきれない国

サウジを「産油国」としてのみ捉えると、我々は全体像を見誤ることになる。アラビア半島の大部分を占めるこの国は、ペルシャ湾と紅海という二つの海に面している。石油を保有するだけではなく、その石油をどの海へ出すかを選択できる地理的優位性を備えているのである。

サウジは1932年の建国以来、メッカとメディナというイスラム二大聖地を擁し、世界最大級の産油国として中東政治とエネルギー市場に影響力を及ぼしてきた。2024年の石油生産は、原油以外も含む広い定義では日量約1,100万バレルに達した。国営石油公社であるサウジアラムコは、最大持続生産能力を日量1,200万バレルに維持すると発表している。

ただし、サウジの力は生産能力の数値のみにあるのではない。OPECプラスの枠組みのなかで生産量を動かし、必要に応じて市場に出す量を調整する。さらに、輸出経路がペルシャ湾側だけに限定されていないことも重要だ。量を保有することと、その量をいつ、どこから、どのように出すかを選択できることは本質的に異なる。危機の時代において力となるのは、後者である。

2010年代半ば以降、サウジは原油価格の低迷、米国の中東離れ、イランの地域的影響力の拡大という環境変化に直面してきた。米国はシェール革命によって中東エネルギーへの依存を低下させ、湾岸の安全保障を引き受ける意思も以前ほど明確ではなくなった。サウジはこの変化を早い段階で見極め、2030年までに石油依存型経済からの脱却、投資環境の整備、観光や物流を含む新たな産業基盤の拡大を目指す「サウジ・ビジョン2030」を掲げて、社会改革と産業政策の強化に踏み出した。

この変化には、明治維新期の日本との類似を見出すことができる。無論、歴史的条件はまったく異なる。だが、外からの圧力を受動的に耐えるだけでなく、制度、産業、社会の作り替えへと転じた点では共通している。危機は国家を弱体化させるだけでなく、時に変革を促す契機ともなり得る。外交面で、米国のみに依存しない道を模索してきたことも、その延長線上に位置づけられる。ロシアとのOPECプラス、中国との経済関係、カタール断交とその解除、2023年の中国仲介によるサウジ・イラン国交回復、イスラエルとの関係正常化をめぐる慎重な駆け引き。いずれも、特定の陣営に身を預けるのではなく、選択肢を残すための動きである。

この変化は、サウジ北西部の紅海沿岸で進められている巨大新都市・経済特区プロジェクト(NEOM)にも表れている。サウジはイスラエルと国交を持たず、表向きには距離を置いている。しかしNEOMは、イスラエル南端のエイラートから直線でおおむね160kmの場所に広がっている。かつて、この近接性は開発上の制約だったはずである。古代にナバタイ人が交易文明を築いたこの地域は、本来、人が住み、交易し、富を生む条件を備えた場所であった。そこに国家の象徴的プロジェクトを置くことは、少なくともイスラエルを従来型の軍事的脅威としてのみ捉えているわけではないことを示唆している。

周辺国の信頼低下と湾岸都市の脆弱性

今回のホルムズ危機では、サウジの周辺でいくつもの前提が揺らいだ。イスラエルは軍事力を誇示する一方、地域の安定を担う存在としての信頼を低下させた。米国もまた、危機を抑える保証人というより、危機を拡大させうる主体として見られつつある。最大の地域ライバルであるイランは、一連の攻撃によって国力を損なった。しかし、中国とロシアは、表立った軍事的支援や決定的な介入には踏み込んでいない。この慎重姿勢はイランの孤立を際立たせ、相対的にサウジの外交余地を広げている。

この揺らぎは、ホルムズ海峡の内側にあるUAEのドバイ、アブダビ、そしてカタールのドーハといった都市国家型モデルにも及んでいる。この20年、これらの都市は金融、航空、不動産、物流、メディア、スポーツを取り込み、国際都市としての存在感を高めてきた。とりわけドバイは、石油資源に乏しいにもかかわらず、宗教・社会規範の運用を相対的に緩やかにすることで、外国人が働き、消費し、投資しやすい都市モデルを築き上げた。

ただし、その開放性は複雑な地理の上に成り立っている。UAEは2020年、米国の仲介で歴史的な国交正常化が実現したアブラハム合意以降、イスラエルとの距離を縮めてきた。一方で、ドバイの商業圏は歴史的にイランとの人流、物流、資金の流れとも切り離せない。イスラエルに接近しながら、イランの対岸に位置するというこの二重性は、平時には強みだったが、危機の局面では「ハブ」としての信認を揺らす要因にもなる。

そもそもUAEの大部分もカタールも、ホルムズ海峡の内側にある。エネルギーのみならず、部材、食料、化学品、人の移動も、チョークポイントの安定を前提としている。平時には繁栄の基盤だった地理が、有事にはそのまま制約になる。

これに対して、サウジはペルシャ湾と紅海という二つの海を有する。東部州で産出される石油は、東西パイプラインを通じて紅海側のヤンブーへ送ることができる。同パイプラインは通常、日量500万バレル規模の輸送能力を持つとされてきたが、2026年には最大日量700万バレル規模まで稼働したと報じられている。ペルシャ湾からホルムズを抜ける東の出口、紅海からスエズ運河を経て地中海・欧州へ向かう北西の出口、そして紅海を南下してインド洋へ出る南西の出口。サウジには、少なくとも三つの出口がある。

紅海という表玄関

ホルムズのみに着目すれば、議論は「封鎖された海峡」に限定される。しかしアラビア半島全体を視野に入れれば、サウジは複数の海と陸路を組み合わせうる位置にある。ペルシャ湾がエネルギーの海だとすれば、紅海は地中海、インド洋、アフリカをつなぐ回廊である。

 

紅海は、サウジにとって裏口ではない。メッカ、メディナ、ジェッダを擁するヒジャーズ地方は、古くから人、物、信仰、文明が行き交う表玄関であった。ジェッダは紅海を通じて地中海、東アフリカ、インド、東南アジアを結ぶ海上交易路に位置し、メッカへの海の玄関口でもあった。海から上がった人と物は、ヒジャーズの山地を越え、ダマスカス方面へ向かう陸路へとつながっていった。

イスラムが生まれた背景にも、この地理がある。メッカとメディナは、砂漠の中に孤立していたのではない。紅海交易、巡礼、隊商路、部族社会、外部世界との接触が重なり合う場所に位置していた。異なる人々が行き交う場所では、それらを束ねる規範が必要となる。宗教は真空の中で生まれたのではなく、人と物が動く回廊の上で生まれ、広がっていった。

それゆえ、紅海沿岸がホルムズ迂回ルートとして注目されることは、サウジの近年の国家戦略にとって追い風となる。2015年以前のサウジは、少なくとも現在の意味における開かれた通商国家ではなかったが、ビジョン2030以降、同国は石油輸出国にとどまらず、アジア、アフリカ、欧州を結ぶ物流・通商ハブへ変わろうとしてきた。危機は防衛費や保険料、物流費の上昇をもたらすが、同時に、紅海側の港湾、産業都市、交通インフラに投資してきた理由を国際市場に理解させる契機にもなっている。

構造的な勝者は誰か

無論、サウジが無傷であるという意味ではない。危機が長期化すれば、紅海側の代替輸送能力にも限界が出る。バブ・エル・マンデブやスエズもまた別のチョークポイントであり、原油価格の上昇も短期的には財政に追い風となる一方、世界経済を冷え込ませれば需要減退という痛手を被る。観光、外資誘致、都市開発も、地域全体が危険視されれば打撃を受ける。

ホルムズ危機は、中東全体にとって深刻な不安定要因である。しかし、誰が相対的に力を失い、誰が選択肢を増やしているのかという観点から見れば、別の様相が浮かび上がる。サウジアラビアは、単に危機に巻き込まれているのではない。危機を通じて、自らの地理と余力、そしてイスラム二大聖地メッカ・メディナの守護者としての地位を、改めて評価され直す立場にある。今回の危機はサウジの立場を強化する契機となろう。

*本稿の内容は筆者の個人的見解であり、所属組織を含め、いかなる組織の見解を表すものではありません。

(c)Alamy Stock/Photoamanaimages

 

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