ポイント
- 各国が、経済安全保障と官民連携の先進事例として日本に注目するなか、「東京エフェクト」と呼べる現象が生まれつつある。
- 企業の利益追求は、経済安全保障を経営戦略に組み込ませる重要な原動力になっている。一方、政府は企業間の連携を促すとともに、各社の実践を通じて検証された経済安全保障のベストプラクティスを整理し、普及させる役割を果たしている。
- 経済安全保障を長期的に持続可能なものとするには、それ自体が経済成長の原動力となる必要がある。日本の経験は、企業と政府の関係性が異なる同志国にとっても、多くの重要な示唆を与えている。
東京エフェクト
日本は、経済安全保障分野をリードする国として国際的に認識されている。世界で初めて経済安全保障担当大臣を置き、経済安全保障に関する包括的な法律を制定するとともに、地経学的競争が激化する新たな時代を見据え、経済安全保障を担う官僚機構の改革も推進してきた。各国政府が経済安全保障政策の構築を急ぐなか、日本が提唱した「戦略的自律性」や「戦略的不可欠性」といった概念は、国際的な経済安全保障の議論や制度設計にも影響を与え、いわば「東京エフェクト」と呼べる現象を生み出しつつある。
日本の経済安全保障政策には多くの独自性があるが、外国の関係者がもっとも高く評価している要素の一つは、おそらく日本における官民連携の有効性である。日本企業は政府に対する信頼が厚く、政府の要請にも協力的であり、情報共有にも積極的で、国益のために一定の負担を受け入れる姿勢が強い――少なくとも、そのように語られることが多い。ある欧州政府の関係者は筆者に対し、「経済安全保障が国家安全保障の一部であることは国際的に広く受け入れられている。しかし、国家のデリスキング戦略への企業の協力を実際に取り付けることに成功した先進民主主義国は、日本だけではないか」と語った。
官民連携が日本の経済安全保障戦略の中核を成していることは間違いない。日本では、一定の柔軟性を持たせた法制度を整備するとともに、多様なメカニズムを通じて官民が継続的に協働してきた。そのなかで、企業による段階的なデリスキングの手法を試行・改善し、そこで得られた知見を経済安全保障のベストプラクティスとして共有してきたのである。
DCERの伊藤隆は、これを「インフォーマル・ガバナンス・メカニズム」の一例と位置付けている。ここでいうインフォーマル・ガバナンスとは、政治経済学で一般的に用いられる概念を、日本の経済安全保障に即して捉えたものである。地政学的環境の変化に、立法や制度改正が追いつかないことは少なくない。また、外交・通商上の配慮から、法律や規制に具体的な対応をすべて盛り込むことも難しい。インフォーマル・ガバナンスとは、こうして生じる制度的空白を、政府と企業の継続的な対話、情報共有、相互調整によって補完する非制度的なガバナンスを指す。この枠組みの下で、企業は事業継続と法令遵守を確保するため、域外適用される海外規制のうち、自社に関係するものを社内規定や管理体制に反映させる。政府も、海外の制度動向を踏まえて企業に助言や情報を提供する。その結果、法制度だけでは対応しきれない領域が実質的に補完され、日本の経済安全保障政策の実効性が支えられている。
日本のグローバル企業の多くに経済安全保障の専門チームが設置されていることも、この仕組みを支える重要な要素である。こうした体制は、経済安全保障をめぐる柔軟な対応や組織的な学習を可能にするだけでなく、必要に応じて、政府と企業が地政学リスクへの対応を調整しながらも、政府の助言と個々の企業判断との間に一定の距離を保つことで、「もっともらしい否認可能性(plausible deniability)」を確保し、不必要な政治的・外交的摩擦が生じるリスクを抑えることができる。こうした柔軟性は、企業が複数の法域で相反する法的・規制上・政治的な圧力に対応しなければならない場合に、とりわけ重要となる。中国の反外国制裁法制や関連措置は、その一例である。
しかし、日本の成功を「Japan Inc.(日本株式会社)」という一枚岩のイメージだけで説明するのは適切ではない。日本企業はあくまでも営利企業であり、政府の政策を実行するための手段ではない。日本政府による企業への直接的な出資は、数十年にわたり一貫して減少してきた。また、この10年間で進められたコーポレートガバナンス改革と外国資本の流入は、日本企業の市場志向をさらに強め、多くの企業に対して、中核事業への経営資源の集中投入や自己資本利益率(ROE)の向上を求める圧力をもたらした。ある意味で、こうした改革は、経済安全保障が求める「ジャスト・イン・タイムからジャスト・イン・ケースへの転換」とは逆方向に進んできたとも言える。
それでも、経済安全保障は優れたコーポレートガバナンスを構成する重要な要素となり、企業にとって当然取り組むべき課題として定着しつつある。だからこそ、日本企業がなぜ経済安全保障に取り組んでいるのか、また、日本の官民連携モデルが実際にどのように機能しているのかを理解することが、これまで以上に重要になっている。
企業競争力のための経済安全保障
1990年代から2000年代初頭にかけて、中国は日本企業にとって、安価な労働力、拡大する国内市場、そして外国企業に友好的な事業環境を提供する魅力的な市場であった。同時に、外国資本、技術、ブランドを取り込むことは、中国にとっても成長を実現するために不可欠なプロセスであった。
中国が現状変更志向を強める経済大国へと変化しようとする兆候は、2003〜2013年の胡錦濤・温家宝政権期にはすでに現れていた。業種を問わず、日本企業は知的財産権の侵害や、自国企業を優遇する政策による各種の不利益に直面し、中国市場におけるシェアや収益性の低下を経験した。一方、欧米では、「中国製造2025」の推進やHuawei、CATL、BYD、DJIといった企業の台頭が、中国の産業政策への警戒感を強める契機となった。
しかし、外国の資本や技術を取り込みながら自国の産業競争力を高めるという中国の方針は、それ以前から明らかになりつつあった。その源流は、2001年の中国の世界貿易機関(WTO)加盟につながった「改革・開放」政策の時期にまで遡る。2010年代に入ると、日本企業は難しいジレンマに直面した。中国市場は依然として巨大で、多くの産業に利益をもたらしていた。一方で、中国政府が外国企業への依存を減らし、自国企業を育成する方針を鮮明にしていたことも明らかであった。
中国への過度な依存が長期的なリスクであることは認識されていたものの、高度な技能を有する労働力や充実したサプライチェーンを備える中国に代わる選択肢は容易には見つからなかった。さらに中国は、「権威主義体制の下ではイノベーションは生まれない」という従来の見方に反し、科学技術と大量生産の双方の分野で高い競争力を示すようになった。
第一次トランプ政権が発足すると、米国は中国とのデカップリングを推進した。しかし、その政策には、日本企業が安心して中長期的な投資判断を行えるような、一貫した長期戦略の提示を伴うものではなかった。さらに、中国市場から自主的に撤退しようとする企業は、中国政府からさまざまな圧力を受け、多大なコストを払って撤退せざるを得ないケースも少なくなかった。
日本政府と企業は、ほぼ同じ時期に、国際秩序の変化に対応し企業競争力を維持するための手段として経済安全保障の重要性にたどり着いた。まず必要だったのは、企業の意識改革であった。日本では、「平和ボケ」や「政経分離」という言葉がしばしば使われる。これらは、戦後日本に根付いた、国際情勢と企業活動をできる限り切り離して考えようとする姿勢を表している。こうした見方はやや単純化されたものではあるが、実際、多くの日本企業は、地政学が企業経営における重要な変数として再浮上したことへの対応に遅れをとった。経営陣の地政学的リスクに対する理解が十分でなかっただけでなく、それを企業戦略へ反映させる仕組みも整備されていなかった。さらに、その取り組みを担う中間管理職や若手人材を育成する基盤も十分ではなかった。
人材の問題は、多くの企業にとって現在もなお重要な課題である。しかし、少なくとも大企業では、経済安全保障に対する認識不足という問題は、おおむね解消されつつある。次に求められたのは、経済安全保障担当部門が担う役割を明確にすることであった。
大企業における経済安全保障専門チームの役割は、大きく三つに整理できる。すなわち、情報の収集・共有、サプライチェーン・リスクの管理、そして機微情報の保護である。こうした分野横断的な業務を担うためには、経営企画、法務、人事、調達、サイバーセキュリティなどの関係部門が密に連携するとともに、経営層から現場(gemba)に至るまで、組織全体で一貫した取り組みを進める必要がある。
こうした実務的な取り組みと並行して、多くの日本企業は、M&Aなどの戦略的な経営判断も進めている。あわせて、事業拠点を地理的に分散させるとともに、リスクの高い市場への依存を減らす取り組みも加速させている。
企業にとって経済安全保障とは、「何を行うべきか」だけでなく、「何を行わないか」を判断することでもある。ただし、公共政策上の目的を企業利益より優先する企業、同業他社よりも過度に踏み込んだ(または警戒した)対応をとる企業は、市場機会や低コストの調達先を失う恐れがある。場合によっては、外国政府による報復措置の対象にもなりうる。
一方で、全社的な研修プログラム、サプライヤーその他の取引先の審査制度、従業員の管理制度の導入には多額の費用がかかるにもかかわらず、その効果を定量的に評価することは容易ではない。さらに、制度設計や運用を誤れば、従業員、取引先、経営陣、さらには国内外の規制当局から反発を招くおそれがある。適切に設計・運用されなければ、経済安全保障への取り組みは、事業に十分な成果をもたらす前に形骸化してしまいかねない。実際、中国への依存度が高い企業や、米国の経済政策の急激な変化の影響を受けやすい企業を中心に、この課題への対応をめぐる試行錯誤は現在も続いている。
成長戦略としての経済安全保障
経済安全保障政策の成否は、経済成長を過度に犠牲にすることなく、より強靱な経済を実現できるかどうかにかかっている。経済安全保障を重視するあまり経済成長を犠牲にすれば、より高い成長を続ける国との国力の差は時間とともに広がっていく。その結果、相手国が蓄積した経済力や技術力は、やがて戦略的・軍事的優位につながり、自国の経済安全保障政策によって得られた利益を打ち消してしまう可能性もある。
これを企業の視点から見れば、経済安全保障への投資が競争力の長期的な向上につながるのか、それとも競争力を損なうのか、という問いになる。経済安全保障への取り組みが企業価値や収益の向上につながらなければ、市場原理の下では、いずれ縮小や見直しを余儀なくされるであろう。先進工業国の中でも、日本はこの課題にいち早く向き合い、経済安全保障と企業競争力を両立させる方法を模索してきた国の一つである。
その代表例が、経済産業省(METI)が公表した「経済安全保障に関するベストプラクティス集」である。現在は第2版が公表されているが、その内容は、主要企業の経済安全保障担当チームによる実務経験を基にまとめられている。重要技術の特定方法から、第三者への情報提供を安全に行うための実務まで、幅広いテーマを取り上げている。
2026年2月、同省はさらに一歩踏み込み、高水準の経済安全保障経営とは何かを示すため、法的拘束力を持たない「経済安全保障経営ガイドライン」を公表した。さらに、企業間の情報共有をより円滑に進めるために、経済産業省は公正取引委員会とも連携し、競争を損ったり独占禁止法に抵触したりすることなしに経済安全保障上のリスクについて企業同士で協力するための考え方も示した。
日本の取り組みの特徴は、WTOルールの遵守など、日本の経済外交における基本原則を損なうことなく、状況の変化に応じて政策手段を継続的かつ柔軟に見直してきた点にもある。例えば、重要鉱物の採掘・精製では、市場原理だけに委ねるアプローチでは中国の非市場的慣行に対抗できないことを早い段階から認識していた。そのため、政府の長期的な資金支援、民間企業の技術・ノウハウ、さらに将来の購入を約束する引取保証契約(offtake agreements)を組み合わせ、供給と需要を結び付ける仕組みを構築してきた。
同様に、2026年6月には経済安全保障推進法(ESPA)が改正され、日本国内で必要な物資を生産できるようにするだけでなく、海外での生産にも対応するとともに、単なる生産にとどまらず、輸送、保守・修理、設置といった関連サービスを含め、重要物資・サービスの安定供給に必要な能力を維持する枠組みも整備された。さらに、経済安全保障をコーポレート・ガバナンス・コードの改訂版に盛り込んだことは、企業経営者にとって経済安全保障への対応を当然の責務として定着させる上で、重要な一歩となっている。
結論
日本の経済安全保障政策は、いまなお発展途上にあり、民間部門の役割も引き続き変化している。世界最高水準の技術を持ちながらも、経済安全保障への投資に必要な経営資源を十分に持たない中小企業をいかに取り込んでいくかは、依然として重要な課題である。
また、金融部門を日本の経済安全保障戦略に組み込む必要もある。金融機関が企業価値評価において経済安全保障への取り組みを適切に評価しなければ、非金融企業が経済安全保障を企業戦略に統合することは難しいだろう。同様に、経済インテリジェンス能力の強化も、今後重点的に取り組むべき課題である。日本は、企業レベルの商業インテリジェンスを収集するための優れた制度的基盤を備えている。しかし、今後の課題は、企業ごとに蓄積された戦術レベルの情報を集約・分析し、政策判断を支える戦略レベルのインテリジェンスへ転換することである。
こうした課題は残るものの、日本の経済安全保障への取り組みは、特に米国や欧州をはじめとする同志国に対して、多くの有益な示唆を与えている。
日本の経験はまた、経済安全保障には一定のコストが伴うことを示している。日本の産業基盤が持つ厚み、多様性、そして柔軟性は、経済安全保障を支える中核的な強みである。そして、その多様な産業基盤を維持してきた背景には、自律性を確保するため、一定の非効率性や重複をあえて許容してきたという政策判断があった。
現在、より多くの国々が、この「効率性と自律性のトレードオフ」に直面している。このトレードオフによって生じる社会的な非効率、すなわち経済学で言うところの死荷重損失(deadweight loss)をいかに最小化し、それを長期的な生産性向上へと結び付けていくか。この課題は、今後、同志国間で議論を深めるべき重要なテーマとなるだろう。
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